はじめに
昨日長男が久々に癇癪を起こした。
長男が癇癪を起こすことは予想できていた。
原因はわたしの舵取りミス。
HSS長男は、一度こうしたいと思うとなかなか変更が利かないところがある。
そのため癇癪を起こしてしまうと収拾がつかなくなるので、まず普段からそうならないような流れを作っておくことが大切となってくる。(スイッチが入りやすいポイントを把握しておく)
それでもわたし(母)も人間なので、時々判断ミスをすることがある。
癇癪を起こした長男に対して、どう対応するのが正解だったのか。
昨日は久々のパニックにこちらも巻き込まれてしまい、感情をもっていかれてしまった。(反省)
あらゆる感情が錯綜してわたし自身も混乱していたので、感情を書き出して整理してみたところ、自分の本音・何が問題だったのか、ということに気づいた。
癇癪持ちの子どもに対しては、普段から癇癪を起さないような流れを作っておく(事前予防)、癇癪を起したときは寄り添い、本人の様子をよく観察した上で、その子自身が落ち着く対応を親自身が把握しておくことが何よりも重要なことである。
癇癪スイッチ
おもちゃが欲しい!!=感情の切り替えができないわが子
長男は自分の感情に素直なタイプ。
自分がイヤと思うものはとことんイヤ。気に入ったものはとことん好き。
裏表がなく、忖度・目論むといったことが一切ない(できない)タイプである。
ご褒美などのエサで誘導しようとしても、自分の感情が動かない限り、なかなか動いてくれないのである。
でも逆に言えば、目的を持ったときの熱量は半端ない。
褒美作戦が偶然、彼の望みと一致したときのやる気は目を見張るものがある。
先日たまたま立ち寄ったスーパーで、長男はあるオマケ付お菓子に一目ぼれした。
それが欲しくてほしくてたまらない。
一度思い出すと、止まらなくなるものの、年齢を重ねたこともあり、さすがにすぐに買ってもらえないこと、自分の小遣いで買わなければならないことはわかっていたようだ。
飽き性なところもあるので、一気にテンションがあがって下がることもよくある。
これを買うためには●●円必要なのか。よし、貯めるぞ!
でもその後の長男を見て、今回は本気だなということが伝わってきた。
我が家ではお小遣い制は導入していません。
代わりにあらゆるものを点数にして課金制にしてます。
その中でも超緩い&高得点な項目はこちら↓↓
- 夕飯を完食する…50円
- 風呂洗いをする…50円
- 父か母の出す宿題(勉強)をする…40円 ※父=易しいめ、母=難しいめ!?
褒美制はよくないという意見もありますが、我が家では長男の気分によって、褒美制を悪用?利用?されるため、褒美制自体の効果があるか否かは不明ですw
おもちゃを買いに…
条件が整うと、後先考えずに、「今すぐ買いに行きたい!」と言い出す長男。
それを何とかなだめて、ようやく明日スーパーへ行こうとなった。
その明日とはちょうど実家に行く予定をしている日だった。
我が家は1週間に1回(平日)、車で30分ほどの距離にあるわたしの実家に夕飯をもらいに行っている。目的はわたしの夕飯づくり休憩&母や姉と話してすっきりするという気分転換がメイン。
長男がそのおもちゃを見つけたスーパーは実家の方向とは真逆。
時間的にも非効率になるので、実家に行くときに実家近くのスーパーに立ち寄ることにした。
この判断がミスだった。
冒頭でも述べた、癇癪持ちの子どもにとってはこの初動がかなり重要であり、先の展開を予想していなかったことがのちに事を大きくさせることとなってしまった。
”オマケ付おもちゃだから、大型スーパーであれば、どこでも売ってるだろう”
わたしの考えは甘かった。
売っていなかったときのことを考えていなかったのだ。
おもちゃが売っていない!?~その時は来た~
(ついに買える!)
感情高ぶる長男を乗せて、実家へ向かう。
まだぁ~???っていうか、そのお店におもちゃあるよね!?
ジれる長男。「大きいスーパーだから大丈夫」と言いながら目的地に到着。
しかし、、、、、ない!!!!!!
どうやらスーパーによって取り扱いの有無が違うようで、実家近くのスーパーには置いてなかった。
長男の態度がみるみる急変し、泣きしだした。
さすがに小4なので、周りの目もあり大暴れまではしなかったが、その目には私への怒りがにじみ出ていた。
とりあえず、もう1軒近所のスーパーと同じ系列のスーパーがあったことを思い出し、同じ系列であれば取り扱いがあるかもと思い、そっちも行ってみようということになった。
移動途中、長男はなかったことのショック、自分ははじめから近所のスーパーに行きたいと言っていた、ことからのくやしさと悲しさから、怒り泣き状態となっていた。(運転中のわたしに横から鈍いパンチが飛んでくる…)
(これはなかったらまずい…)
わたしも内心焦りだしていた。
しかし、2軒目のスーパーにもなかったのだ。
あるって言ってたやん!!(関西弁です)
ごめん。お母さんの判断ミスだったわ。お詫びに好きなお菓子買ってもいいよ。
いらんわっ(泣怒)
今すぐ家の近くのスーパーに戻る!!
それは無理!!!
ここから先は母と子のバトル。
余談ですが、横でやり取りを聞いていた長女(4歳児)は、自分もお菓子を買ってもらえると思ったようで、ここぞとばかりに「自分はこれにする♪」となってしまいました。(こちらもややこしいスイッチを入れてしまった。)
判断に迷う
収拾がつかなくなった長男を前に悩みました。
ここまでスイッチが入ってしまった長男に、おもちゃをあきらめさせることがかなり難しいことはわかっていました。
だからこそ、本人の納得いくところまでもっていかないと終わりがないことにも気づいていました。
しかし、実家では母が夕飯を作って、待ってくれている。
父も孫に会うのを楽しみに待ってくれている。
ここで行かないと判断することに申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
わたしの心の中で様々な感情・葛藤が襲ってきました。
A.長男が望むとおりに動く
- この流れだと長男の欲しかったおもちゃは季節商品で、近所のスーパーでも売っていないかもしれない。
- 長男は自分で決めたことで動いた結果、望みが叶わないことがわかった場合、意外にもあっさりとあきらめがつく性格。
- このまま実家に連れていっても、荒れ狂って夕飯を食べない可能性が高い。
- 両親にも不快な思いをさせたくない。
B.無理やり実家に連れていく
- 今から家に戻ると実家には行けない=夕飯を考えなくてはならない←わたしの都合(エゴ)
- 長男の望むことをした場合にあとから、母に「あなたはいつも子どもに甘い!」と言われるのは必至←わたしの都合(エゴ)
- 今からスーパーに行くと、夕飯・風呂・寝かしつけすべてが遅くなる。早く寝たい。←わたしの都合(エゴ)
昭和と令和の子育ての違い
こう考えていると、あることに気づいた。
わたしが悩んでいることは、長男のためではなく、長男の望む通り動くことで、あとで周囲から批判されることを恐れているだけではないか。自分の都合だけで考えているのではないか。
世間一般的に見たら、「甘やかし」と受け取られるかもしれない。
ここは親として、毅然とした態度で力づくで、実家に連れていくべきなのか。
そして実家の母の存在が頭によぎった。
わたしの母は「ザ・昭和人間」である。
母として、妻として、家族のために動き、自分のことはいつも後回し。
”子どもは親の背中を見て育てるもの”、という考え方を持つ人。
子どものことを一番に考えてくれていたことはわかっていたが、そこには親=子の関係ではなく、常に親>子の関係が存在していた。
わたしは実母の育て方を否定するつもりはないが、昭和と令和の子育ての違いは実感している。今の時代、昭和のやり方だけが正解でないことはわかっているが、だからといって令和の育児方法を完璧にわかっているわけでもない。
子育ての答えはその子自身の中にある。
わたしは勉強好きで、様々な育児書やセミナーなどに行って、子育てのメソッドを学んできたが、それがどうにもこうにも長男には当てはまらないことを再三実感していた。
長男を通じて、子育ての答えはその子自身を見る・理解することにあると学んだ、はずだった。
A.長男が望むとおりに動く
わたしは結局A)を選択した。しかし、自分の心の中はあらゆる感情でぐちゃぐちゃ状態。帰り道の車で悶々として、長男を説得できなかった自分の不甲斐なさ、子どもをコントロールできないのは甘やかすことになるのか、これでよかったのか、など悔しさと悲しみ、怒りに涙が出てきた。
でも、癇癪を起した時点で実は自分の中では答えは出ていた。
おもちゃがなくて、癇癪を起こして、別の店に行きたいといいだした長男。このときわたしが一番に思ったことは「スイッチを入れてしまった。これは引き返すしかないか。」ということだった。
全てはわたしの初動ミス。
思えば長男は前から何度も買いに行きたいと言ってきていた。
それをなんとか、なだめながら行く日をこの日まで延ばし、わたしの都合に合わせていた。
だからこそ、せめて行先は長男が望むスーパーにはじめから連れていくべきだった。
そこを面倒くささが勝り、別のスーパーに連れて行ってしまったことが「事の発端」だった。
長男の性格を一番知っているのはわたし。こうなったらどうにもこうにもならないのは百も承知のことだった。
でもこのモヤモヤした感情は何なのか?
帰宅後も感情が収まらないわたしは、寝るまで機嫌とりをしてくる長男をフル無視していた。
親は一番の理解者であるべき
なぜわたしは長男に対して、このような態度をとってしまうのだろうか。
なんてひどい母親。自己嫌悪に陥った。
わたしは両親に対して、世間に対して、言い訳しようとしていた。
長男に「世の中いつも思い通りにいくものじゃない。あなたのワガママでどれだけの人(祖父母)に迷惑をかけたか、思い知りなさい。」ということをアピールしたかった。
でもそれは誰のため?長男のためなのか?
帰宅後、機嫌とりのためにわたしにあれこれ話しかけてくる様子から見ても、長男は十分反省していた。
にもかかわらず、私は”これでもか”というほど冷たい態度をとっていた。
わたしは自分のプライドを守ろうとしていた。
世間に振り回されているのは自分。
自分をしっかり持ちたいと思って、各種のセミナーや心理学を学んで少しずつ変わって来たなと思っていたが、こうして時々長男が荒れることで、自身の未熟さに気づかされることがよくある。
子育ては自分育て
育児=育自
この言葉を思い出した。
今回の件で母子ともに一つ成長したと思いたい。
【おまけ】
HSS長男は気持ちの切り替えが下手である。
一度こうしたい、と思ったらなかなかそれを変更することができない。
これには何度も悩まされてきた。
しかし、わたし自身も「戻る」と決めたにも関わらず、ずっと怒りが収まらず寝る直前まで長男に怒りモード全開だった。
自分の出した結論に対し、自信が持てず、結局イライラしてた時点で切り替えができていない。
=親子…w
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